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Johnny Moore (ジョニ−・ムーア) − その3

( 2008-02-20 )


またまた Johnny Moore の続きです。

63年に Johnny Moore は 新・Drifters に加入しますが、そのころ Ben.E.King はグループから既に抜けていて、替わりに加入した Rudy Lewis がリードボーカルを担当していました。

しかし64年に Rudy Lewis が亡くなると(ドラッグが原因です)、そこから Drifters が ATLANTIC を去る70年代まで、ほとんどの作品で Johnny Moore がリードボーカルを担当しました。(数曲はメンバーの Charles Thomas が担当。「Sweets For MY Sweet」などでボーカルを担当していた人です。 )

新・Drifters は ATLANTIC 在籍期間中にオリジナルアルバム5枚をリリースしています。1st 〜 3rd までのアルバムでは、ラテンビートにのせたポップな作品が多くを占めます。

しかし65年の4th アルバムは、なんとスタンダードナンバー集。Bossa までもやってます。

このアルバムは多分、R&B・ソウルファンには評判良くないと思いますが、Johnny Moore の唱方はスタンダードナンバーに合っていて、黒っぽくないとかそういうことを抜きにして音楽の質のみを考えれば、とてもすばらしいアルバムだと思います。私は大好きです。

同じく65年の5th アルバムのタイトル曲「I'll Take You Where The Music's Playing」はモータウンを意識した作品。このアルバムは ATLANTIC でのラスト・オリジナルアルバムとなります。

68年頃までには Johnny Moore 以外のメンバーは全員入れ替わりますが、71年までシングルはリリースしていきます。しかし徐々に作品がつまらなくなってしまいます。

その後、米国でヒットの出なくなった Johnny Moore 率いる Drifters は ATLANTIC を去り、活動拠点を英国に移します。

72年から Roger Greenaway のプロデュースにより作品をリリースしていきますが、これらの作品がヒット連発となり Drifters はすっかり再生してしまいます。

72年〜76年の間にオリジナルアルバムも4枚リリースします。(1st 〜 3rd : Bell、4th : Arista)

これらのアルバムの作品の約9割は Roger Greenaway, Roger Cook, Tony Macaulay らによって書かれていますので、曲の良さは保証付き。

一概には言えませんが、ポップな曲、キーの高い曲は Johnny Moore、この時代にはスウィートソウルっぽい曲もよくやっていますが、そういった曲、黒っぽい曲、スローな曲は他のメンバーといった感じでしょうか?

彼らは78年まで Arista でレコーディングをしますが、その後は Epic へ移籍。

更にその後 Drifters は、このグループの伝統でもある「メンバー交替」を繰り返しながら活動を続けます。

80年代には Ben.E.King がグループへ復帰した時期もあります。

中心人物といってよい Johnny Moore はグループから何度か離脱することもありましたが、87年以降 亡くなる98年まで Drifters に固定します。

そして現在も Drifters は活動継続中です。

Doo-Wop 時代の55年にメンバーに加わって以来、何度かの出入りを繰り返しながらも亡くなる98年まで、40年以上もこのグループで活動してきたメンバーは Johnny Moore 以外には見当たりません。

Johnny Moore だけが「ミスター Drifters」と呼べる、ただ一人の人物と言って間違いないでしょう。

Johnny Moore (1934‐1998)
Johnny Moore (ジョニ−・ムーア) − その3


posted by katsuaki at 13:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 達郎氏からの影響
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